クリエイターを、「食業」に。

サウンドクリエイターとしてフリーで活動する楽曲制作者、NR-Takaの、クリエイター問題に対してあれこれ考え、書き連ねるブログです

勝てない戦いはしない

皆さん、おはようございます。

 

2016年も半分が終わりました。

4月から新年度と考えると、6月で1年を折り返し、というのは、信じられない程早いものです。

2016年の後半戦、今以上に行動しないといけません。

しかし、主に自戒の意味を込めて、この記事を作ります。

勝てない戦いはしない

スポーツではよく「絶対に負けられない戦いがある」とキャッチコピーが流れますが、そのたびに「負けていい戦いなんか在るか」と心のなかで突っ込み入れるのはお約束です。

確かに戦う以上は勝つことが目的なので、勝たなければなりません。

ただ、クリエイターとして活躍すると、たとえ負け戦であっても戦わなければいけない時はあります。そういう時は、たとえ勝てなくとも、敗戦から何かを見出す経験値稼ぎをする、という目的にシフトするのが大半だと思います。

…で、これが「勝てない戦いはしない」とどう関係が在るのでしょう…?

 

敗北の定義

簡単にいえば、敗北は勝利の対義語として挙げられます。

ただ、先にも書いたように、敗戦から何かを見出し、それを勝利につなげるというのであれば、敗戦は決して無駄ではないということになります。

つまり、敗北=敗戦ではありません。

ツイッター上で流れてきたツイートですが、それを引用しようと思います。

 

勝負を挑んで負けることは敗北ではない

勝負の舞台に立てないことこそ敗北である

(実際のツイートとは文面が異なります)

 

だから、勝負を挑み負けることは、敗戦ではあるけど敗北ではない、勝利ではないが敗北ではないと言えるでしょう。

真に敗北なのは、勝負をしない、勝負ができない状態にあることだというこのツイートに、衝撃を受けました。

絶対に勝てない戦いはしない

勝負をするのであれば、勝つべきです。敗れても次に繋げるようにするという必要もありますが、やはり勝つという姿勢で臨むべきでしょう。たとえそれが俗にいう出来レースと言われるものであっても。

勝負を挑むというのは、単純に考えて勝つ可能性がある(絶対的な実力差が在るとかは差し置いて)ということです。しかし、先のツイートを踏まえると、敗北が確定している(=勝利の可能性がゼロの)戦いをしてはいけない、ということになります。つまり、勝負の舞台に立てない状態で勝負をしようとするな、ということです。

簡単に言うと、勝負ができない世界からやって来る情報に囚われるな、ということです。

特に、成果が出せない状態において、成果が出ている人の情報発信を見て不快感を催すのであれば、むやみにその都度反発するくらいなら、一時的に遮断してしまったほうがいいということです。反発しても状況が好転するわけでも、仕事が来るわけでもありませんし、もどかしさから攻撃的な言動になって支持が離れ、悪循環に陥りかねません。不快感を催す原因は、勝負できない状態で勝負したい世界の情報が飛び込んでくることにあります。

絶対に勝てない戦いをしないために

  • 勝負の舞台に立つ方法を考える
  • 自分の心を保つ
  • 自分と対話する
勝負の舞台に立つ方法を考える

絶対に勝てない戦いになるなら、潔く絶対に勝てない状況を認めましょう。そして、どういう方法をもってすれば同じ舞台に立てるのかを考える必要があります。いくら竹槍で天を突いても、爆撃機は落とせません。

どうすれば勝負ができる状態になるのか、決して焦らず、勝負ができる状態に回復させる行動を第一に考えます。但し、必ず「これが勝負できる状態になるのに必要な状態」と決めたら、それを達成したら即、勝負に出る必要があります。そうしないと、延々と勝負ができるのに必要な状態を並べ、勝負から逃げてしまうだけになってしまいます。十分挑める勝負に挑もうとせずに逃げる、それもまた敗北です。

自分の心を保つ

先にも挙げましたが、勝負ができない時に勝負したい世界の華々しい声を聞いても、現実とのギャップに心が痛むだけですし、少なからずストレスになるでしょう。

一時的にそういう声を遮断するなど、焦らずに勝負ができる態勢を作る必要があります。ワガママと言われてもいいんです。自分で情報を取捨選択できる環境にありながら、それでいて傷つくのはおかしな話です。

自分と対話する

勝負できない理由としては、自信を失い、戦意喪失の状態にある場合もあります。

あなたは過去に、こんなことはありませんでしたか?

過去の自分は、今の自分と比べてもずっと実力が低く未熟だった。でも、過去の自分には自信とやる気に満ちていた。

色々と要因は在るでしょうけど、自信とやる気に満ちていた過去の自分には、自信とやる気を持っていた理由が、絶対にあるはずです。逆に、ある時、自信を失ってしまったのであれば、自信を失ってしまった理由があるはずです。

自分と対話すれば、失った自信を取り戻すことが可能です。もちろん、自分と対話するために、自分以外に客観視してもらうのもありでしょう。

だって、自信を失ったというのは、自信があったから失ったわけでしょう?

まとめ

でも、勝負の舞台に立てないことに囚われてしまうのは、少なからず自分自身が、勝負の舞台に立てるんじゃないか、勝負を挑んで勝てるんじゃないか、と自負しているから起こるものだと思います。決してそれは、歪みや負の感情からくるものではありません。もしどうあがいても勝ち目がない、と諦観している次元であれば、端から勝負も眼中に無く、感情が囚われることもないでしょう。

もうすぐ勝負の舞台に立てるからこそ、改めて、自分を保ち、自分を見失わずに、自分の軸で勝負することが大切なんだな、と思うところです。