クリエイターを、「食業」に。

サウンドクリエイターとしてフリーで活動する楽曲制作者、NR-Takaの、クリエイター問題に対してあれこれ考え、書き連ねるブログです

香川県の「ゲーム規制条例」、なぜ反対すべき?

皆さん、おはようございます。

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由々しき事態です。

ネット上で問題視されていた、香川県の「ゲーム規制条例」が、本日可決成立に至りました。施行は4/1からとのことです。

 

この条例案、簡単に言えば「青少年のゲーム時間を1時間を上限とすることを定める」条例ですが、その存在は決して対岸の火事ではありません。

なぜ県外の人も反対しなければいけない条例なのでしょうか…

 問題点を簡潔にまとめると

  • ゲーム規制に対する論拠がない
  • 成立に対し不利な情報を開示しない
  • 不正の痕跡が指摘されている
  • 教育者の責任を放棄し、行政が個々の教育に介入する
  • 同様の事例が頻発する堤の穴となる

この条例は、驚くほどスピーディーに可決成立されました。

法案が提示され、ネット上を賑わせている間に、パブリックコメントが集められ、賛成意見が2000件を超え、そして多数の賛成で可決成立に至りました。

本来はほぼ議会一致での可決成立となる見通しだったものの、当日の採決で反対側に回る動きこそ見られましたが、多数決により可決成立となりました。

しかし、この動きには、腑に落ちない点が多いと言われています。

ゲーム規制に対する論拠がない

ゲームの時間を規制することについての医学的根拠がなく、また、60分と定めるに至った独自調査もサンプル数が少なく偏っているとの指摘があります。

「ゲームがある、だから引きこもりや不登校が発生する」という意見もありますが、逆です。

引きこもりや不登校になった結果、やることがゲームしか無いという順序であり、ゲームを取り上げたところで引きこもりや不登校が解消されることはありません。それこそ言い得て妙、「病床を取り上げれば寝たきりの人はいなくなる」と同じです。

また、ゲームの規制については、ソーシャルゲームにおける「ガチャシステム(ルートボックス)」が射幸性を煽り悪影響とありますが…そもそも青少年に廃課金勢になる程度の金を所持できるなら、そちらのほうが問題です。

ゲームの規制と言えば、「ゲーム脳」が昔から言われていますが、相変わらずゲームと犯罪との因果関係はなく、「ゲームをやるから不健全に育つ」という妄想から抜け出ていない意見が規制の風潮を支持しているのも由々しき問題です。

それは「論拠はないけどなんとなく有害そうだから規制しよう」という先入観による規制を野放しにしていることになります。

成立に対し不利な情報を開示しない

今回の条例案は、議場の様子は外部から全くうかがい知ることはできず、集められたパブリックコメントも県外からの募集を禁止し、公表を頑なに拒否していました。

今回パブリックコメントとして集まった賛成の数は2000件とも言われています。もしもパブリックコメントの通り、賛成意見が圧倒的多数であれば、それらを堂々と公表することはできるはずです。

そして、企業からの意見は、賛成1に対して反対67という、まったくもって真逆の意見…正直言って反対意見しかありません。経営陣か否かで視点は変わる可能性こそあれ、それが賛成反対を逆転させるに至るとは思えません。

不正の痕跡が指摘されている

成立の数日前になり、賛成意見のパブリックコメントについて、不正疑惑が指摘されました。

何者かによって反対意見が二重線で修正されて賛成にされている、議員が知人らに賛成に投じるように配った…もしこれが真実であるとすれば、この法案は不正によって可決成立した、それこそゲーム規制を焦点として騒ぐどころの問題ではない、民主主義の根幹を揺るがす暴挙であるとしか言えません。

これを「不正」と言わずして、何と言えましょうか。

教育者の責任を放棄し、行政が個々の教育に介入する

過去にスマートフォンの使用時間を行政が定めるという条例案は何度か提出されてきました。しかしながら、そもそも子供がスマートフォンを使う時間を制限する、子供にスマートフォンを与える判断を下すのは、その保護者たる親の教育責任下で行われるべきであり、行政が個々の教育空間に介入すべき問題ではありません。

今回の条例案に賛成を投じた教育者は、「自分は子供のゲーム依存を注意するだけの教育力を持っていません」と公言しているようなものであり、今回の条例案の成立は、「香川県の教育者たちは条例に頼らないと教育ができません」と公言しているようなものです。

同様の事例が頻発する堤の穴となる

対岸の火事とすべきでない理由はこれです。

冒頭で、同じような条例の成立を目論もうとする自治体が少なくないと書きましたが、今回の条例成立により、「行政が個々の教育の場に介入することを許し、行政によって特定に物事を規制させる」前例ができてしまいました。

特にサブカル界隈であれば、これがどれほど恐ろしいかをわかっているはずです。

創作物は、何度となく行政による規制の憂き目に晒されてきました。

こんにち、ようやく政府からサブカルへの理解を引き出すことができ、山田太郎議員などサブカルに理解ある議員が国会に赴くようになり、世代の刷新もあってかつての風当たりは弱まりつつあります。

しかしながら、行政や国際団体による圧力がなくなったわけではありません。それこそ定期的に、文化を攻撃し、封殺しようとする動きは見られ、それに対して不安を覚えつつも守るために戦うことは依然としてあります。

今回の事例は、まさに「気に食わないと思ったものを、それなりの理由をつければ行政が規制に踏み込むことができる」前例を作ってしまいました。

戦いは終わっていません。むしろ、同じような条例案を可決成立させようと、次々に声を上げてくる行政との戦いを強いられるでしょう。

 

条例の成立も由々しきことですが、もっと怖いのは、この件も時間が経てば熱量を失い、忘れてしまう人が多いということです。そうなれば、同じような条例案が出た時、それ以上に恐るべき条例案が出た時に、民意が止めることはできません。

この一件を絶対に忘れてはいけない、同じ過ちを繰り返させない…

そのために、記事として残します。

 

条例案の撤回に向けてできる限りの協力をしてまいります。

未来の主役は傲慢な年寄ではありません。

真の主役に、本当に残すべき風土を遺す…それこそが世代交代をする大人のすべき責任ではないのですか!