「好きなことやれるなら貧しくていい」には断固反対だ!
※今回は、かなり強い主張のため、攻撃的な表現および同業者に対して批判的な内容を含みます。
皆さん、おはようございます。
先にも書きましたが、今回は「自分があるべきと思うクリエイターの姿」と異なる主張が力を持っていることを懸念し、このままではいけないと思い、記事にしました。
もう表題で完結しているような気はしますが、進めていきましょう。
「好きなことやれるなら貧しくていい」には断固反対だ!
これまで、クライアント側から「好きなこと仕事にしているんでしょ、だったら無償でも安くてもやってよ!」と言われるケースは散見されました。
しかし、クリエイター側からも「好きなことを仕事にしているから、これだけの稼ぎがあれば十分」ということを公言するケースが、ここ最近目立ってきています。
でも、それは由々しいことなんです。
なぜ「貧しくていい」ではダメなのか
そりゃ、お金が稼げるほうがいいに決まってます。
おしまい。
…終わっちゃダメだ。
もちろん、お金が稼げるというのもそうですが、貧しくていいという考えは、呪詛のようにクリエイター業を蝕みます。
稼げないことを当たり前と思い、向上心がなくなる
稼げないということは、ちょっと稼げればいいやという思いに駆られ、ちょっと稼いで満足し、クリエイターとしての、食業としての向上心を失わせます。
当然、専業クリエイターの割合は減り、クリエイター業全体のレベルダウンを併発することになります。
貧しいことを当たり前と思い、貧しいと口伝するようになる
クリエイターが貧しいものだとクリエイター自信が公言するようになると、いたずらに周囲にクリエイターは貧しい存在だということをアピールすることになります。
それはクリエイターが貧しいことに付け込んでくるクライアントを呼ぶばかりでなく、将来クリエイターを目指そうという人を減らし、業界の先細りを招きかねません。
昨今、飲食業や介護業界が人手不足で悩んでいる記事を目にするのは、これらサービス業は総じて、過酷な業務、理不尽との直面、業務中の悪質なクレーム事例などが語られ、それに対する嫌悪から就職を見送る人は多いと思われます。
クリエイター業も同様で、華々しさだけで人を呼び込める時代ではなくなりました。「その仕事に就いた時に将来の生活が見えるかどうか」それを考え、先が見えなければ敬遠されるのはクリエイター業も同じです。
それで諦める程度なら人生を擲つ覚悟が足りないなんて精神論は聞き飽きました。
影響力のある人が言うと、全体が前へ倣えする
クリエイター内から「好きなことができるなら貧しくていい」という声が聞こえることを懸念する最大の理由がこれです。
クライアント側が「好きなことができるなら貧しくてもいい、だから割に合わない仕事でも最初のうちは請けろ」という声に対しては、近年ではクリエイターを買い叩く事例として拡散され、企業名やクライアントの名前付きで情報が周知されるようになり、ある程度反発する風潮ができてきました。
ですが、影響力のあるクリエイターサイドの人が同じことを言うと、彼を支持する人は疑いもなくそれに追従してしまい、やがて「影響力のある1クリエイターの価値観がクリエイター全員のあるべき意識」という同調圧力が生まれてしまいます。そうなると、「この意見はおかしい」と声を上げた途端、同業者から非難を受けて叩き潰される構図をも生みかねません。それは、昨今問題となっているブラック企業の体質と、どう違うのでしょうか。同じではないでしょうか。
「貧しくていい」につけ入るクライアントを生む
貧しくていい、ということを公言することは、貧しくない生活をするのに十分な報酬の支払いは必要ない、ということに匹敵します。
先にも挙げましたが、「好きなことを仕事にしているんだから貧しくてもいい」とクライアントが言えば、当然「好きなことを仕事にしているんだから、報酬は少なくてもいいよな」という展開を量産するのは自明です。
好きなことをやって稼げるを目指すべきではないか
改めて問いかけたいと思います。
なぜあなたは「クリエイター業」という「仕事人」を目指したのか。
もし、好きなことをやることが幸せだというのであれば、プロになる必要などなく、アマチュア界隈で発表していれば十分ではないでしょうか。
「クリエイター業」という、立派な商業に携わる存在を目指した以上、まず「仕事をして報酬を得て生業をする」ことが目的ではないでしょうか。仕事で報酬を手にすることに引け目を感じる、仕事に金銭授受を要求することを悪徳だと考えるのであれば、即座にプロのクリエイターの肩書を地面に投げ捨てろと思うほどです。
「好きなことをできるのであれば貧しくていい」
その実現のためにプロのクリエイターを目指すことほど、やり場のない中途半端なものはないと思いますし、どっちつかずのスタンスが、自分にとって悲劇を生むものにしかならないでしょう。好きなことをやっているとは言え、貧しいという状況があれば、それを何とかする状況にリソースを割く必要があります。リソースを割くことで、好きなことをやりたいという計画に悪影響が出るのは、想像するに容易いでしょう。
好きなことをやりたいから貧しくてもいいんだったら、プロを語らずに趣味の範囲でやる方がいいです。
好きなことを仕事にするんだったら、それが「食業」になるだけの稼ぎが当たり前になるべきです。そうすれば、将来クリエイターを目指したいという人が増え、何より、「好きなことを仕事にする」ことが当たり前となり、「好きなことをしているんだから貧しくていい」と買い叩かれることはなくなります。
そのためには、クリエイター自身がプロ意識をもち、仕事をして見返りを受けていることを認識し、1クリエイターであれどもクリエイター業を映す鑑となることを自覚しなければならないでしょう。
今回は、クリエイター業に対する、クリエイター側の考え方について言及してみましたが、こういう記事を書く時、常に頭にあるのは…
機材や技術など、仕事をする上で必要となるツールは簡単に手に入るようになり、ネット環境という、商売や広報をする環境もそこにあり、事業を営むためのピンキリは揃うようになったけど…
それでもなお、クリエイター業という「商売」をすることについて、商売とは何かを教わる機会は自発的に求めないと手に入らないし、教えてもくれない、という想いです。
もしクリエイターを志す人が、クリエイター業という「商売」「事業」であると考えてくれれば…そう思うことはあります。
ましてやそれが、世間一般で「遊んでいるようで仕事しているように見えない」業種だからこそ尚更だと思います。
好きなことを仕事にして、それを「食業」にする…
それが、本ブログの本懐です。