皆さん、おはようございます。
クリエイターとしてクリエイター業を軌道に乗せる…そのためにクリエイターを取り巻く環境を是正したいと呼びかける、そのために立ち上げたこのブログもおおよそ半月…
中の人は当然、サウンドクリエイターという1クリエイターとして活動しています。
ただ、サウンドクリエイターを自負していますが、作曲家ではないことを、予め断っておきます。
作曲家とサウンドクリエイター
これはあくまでも自分の見解なので、人によって見解が異なることはあります。
作曲家ではありません。
でも作曲はします。
では、作曲家とサウンドクリエイター、同じ作曲をする2者を別物たらしめる要素とは一体何でしょうか。
作家業というのは、アーティスティックな気質が強い
作曲家・編曲家・演奏家・小説家・漫画家・画家・落語家・吉野家…
これらの職業については、共通してアーティスティックな動き方をすることが多いように思われます。作曲家・編曲家だったら、音楽を作り発表する、漫画家や画家だったら、マンガやイラストを制作し、発表する。小説家は作品を執筆して出版、落語家は寄席の舞台に上がったり、テレビに出たりする…作品と名前を売り、仕事を獲得する、アーティスト的な気概が強い職業であると言えます。
クリエイターというのは、商業的な気質を持つ
一方、クリエイターというもの…サウンドクリエイター、イラストレーター、ライター…といった職業には、共通してクライアントから頼まれた仕事を忠実にこなすという、商業的な気質が強く見られます。仕事をするための能力を、クライアントが欲するもののために行使し、作品を仕上げる…下請け業者のような立ち位置であると言えましょう。もちろんアーティスティックな行動をするケースも有りますが、~家と違い、商業的に仕事を請け負うための実績作り、誘導を目的とした展開が主流となるでしょう。
相反する気質がいらない、というわけではない
自分は作曲家だからクリエイターの気質は必要ない、というわけはありません。コンペをした時に、自分のやりたいものを作って出しても、それがクライアントの求めるものでないならば箸にも棒にもかかりませんし、サウンドクリエイターであり作家業ではないと言っても、アーティスティックな要素がなければ同業他社との差別化ができず埋もれかねないでしょう。
自分はクリエイター業
ゲーム音楽のサウンドクリエイターとして就職したい、という思いが根底にあること、アルバイトしながら食いつなぐ状況で、アルバイトとはいえ組織の下で仕事に従事するという環境に長く浸っていること、フリーのサウンドクリエイターという自営業形態をとっている=個人事業者であることなど、典型的なクリエイター業気質です。なので、「クリエイターは好きなことを仕事にしているんだから遊んでるようなものだろ」と決めつけられたり、それを理由に買い叩くこと、制作する知識や技術を備えているのに無償請負という形で自ら安売りするということには、仕事をする人としてあるまじきことだと反発する姿勢を見せることがあります。その思いが高じたのが、このブログでもあるわけですが。
あとは、作曲家・編曲家のフィールドとの相性が悪い、というのもあります。
ぶっちゃけコンペ制度って嫌いなんです
気が向いたらこれで1記事書こうと思いますが、人気作家の登竜門として、アイドルやアーティストへの楽曲提供のためのコンペ(コンペティション)がありますが、自分はどうしてもこれが好きではありません。
簡単に言うと、コンペのためとはいえ、制作の仕事をしたことに対し、当選しないかぎり支払いが行われないということが、クリエイター気質に反するからです。
飲食店で例えるなら
店主「いらっしゃいませ」
役員「うまいもの食わせろ。もちろんいいものを使えよな」
店主「わかりました」
店主「お待たせしました」
役員「もぐ…もぐ…まあまあだな。インパクトには欠けるが。じゃあの」
店主「あのすみません、お題を…」
役員「お代?俺の目に留まらなかったものに金など払うか!」
コンペ制度を例えるとこんな感じです。
もちろん、コンペを公募している以上、その条件に同意するということなので文句はいえませんが、実績を得るチャンスを振りかざし無償労働をさせるということを助長しているような気もします…あれ、この展開、どこかで見たことがあるような…
コンペ制度自体を否定するわけではありません。数多くの提案の中からひとつを選び出すこと、1人に1つの提案だけで勝負するということではあまりにも選択肢がなさすぎて困るという場合もあるでしょう。ただ、コンペ制度をするというのであれば、コンペに時間や労力を費やしても問題のない環境があってのものだと思います。会社の社員を対象にしたコンペであれば、コンペ自体を会社での仕事と位置づけられるため、結果がどうであれ無償案件にはなりません。
ただ、人気作家になるためと謳い、それに集まる人に無償労働をさせる、公募コンペ制度については、クリエイターの搾取につながると反対の意志を示します。特にここ最近は、コンペ提出段階で完成度が高い物が求められ、時間・労力・金銭的コストが重くのしかかってきます。もちろん、当選しなければそれらに対する補償もありません。しかし、音楽の専門書で「コンペは100回挑んで100回落ちてもなお挫けない人だけが作家として大成できる」と書いておけば、作家としての大成を夢見て、自ら無償依頼に応じてくれる搾取対象を確保できるでしょう。
おそらく、現役の作家やそれを目指す人からは批判を受けるであろうこの文章ですが、コンペをくぐり抜けて活躍した人の中にも、公募コンペ制度に対して一石投じるべきという意見を持つ人もいるとは思います。
コンペ制度に反対という立場を掲げている時点で、十分「自分は作曲家ではない」という理由にはなると思います。
商業価値の高いサウンドクリエイターを目指して
サウンドクリエイター業…すなわち、サウンドをクリエイトする「仕事」をするということです。
仕事とは働くこと、働くとは傍を楽にするということ。誰かのために行動すること。そして、その代価を得ること。
自分が目指すサウンドクリエイター業とは、音楽を作る仕事をもって、誰かの役に立つこと、社会に尽くすことにあります。
鉄道会社は、人員や貨物を輸送することで社会の役に立ち、その代価を得る。
飲食業は、人に調理した食べ物を提供することで社会の役に立ち、その代価を得る。
会社は、販売やサービスを提供することで社会の役に立ち、その代価を得る。
すべての仕事が、仕事を提供し、社会の役に立ち、その代価を得るというのであれば、クリエイター業も、仕事を提供し、社会の役に立つ以上、その代価を得る例外となるはずがありません。しかし残念ながら、クリエイター業は軽視される傾向にあります。
クリエイター業が「趣味の延長、遊んでいるようなもの」など、軽く見られていることもあるでしょうし、軽く見られているような要因をクリエイターが自ら作り、是正しようとしないのもあるでしょう。
この状況を打破するために、クリエイターを取り巻く環境の是正、クリエイター自身に起因する要因の是正、クリエイターから社会に向けてアピールすべきことの発信、そして何より、クリエイター同士が手を取り合い、諸問題に向き合う姿勢が求められます。