クリエイターを、「食業」に。

サウンドクリエイターとしてフリーで活動する楽曲制作者、NR-Takaの、クリエイター問題に対してあれこれ考え、書き連ねるブログです

2019年新年の抱負

皆さん、新年、おはようございます。

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2019年に突入しました。

今年は去年とは違うと、年頭から感じております。

去年は色々と準備に追われた年でした。

気候も階段を上り下りするように変化して、身体が慣れず振り回されることが多い1年でした。

しかし、年は明けました。

眼の前に漠然と広がる、360余日の今年1年を歩むための地図を広げ、羅針盤を手に歩みを進めなくてはなりません。

さあ、今年の目標を立てましょう。

2019年の目標

今年の目標…というより、今年の活動自体をプロジェクトに昇華したものは、去年終盤から予告してまいりましたが、年も明けたことだし発表いたします。

今年の目標は…

 ひたすらサボる

 

です。

 

…えっ?

 

ですから…

 

ひたすらサボる

 

です。

 

ちょっと待ってください…

ブログのタイトルに思いっきり「クリエイターを、食業に。」って書いてあるじゃないですか。

クリエイター業を「食業」にしないでどうするんですか…

いいえ…

誰も「食業にしない」なんて言ってません。

むしろ、食業にするからこそ、ひたすらサボるんです。

クリエイター問題の分類

クリエイター業という、新しい仕事の請け方、働き方が確立され、これまでのような勤務体系は当たり前ではなくなりました。

そこには、インターネットの普及もさることながら、これまでのような勤務体系を維持できない企業が増えた、維持せずに外注するほうがコストダウンであるというような情勢の変化もあります。

しかしながら、諸々のクリエイターを苦しめる問題は相変わらず残り、その要因は大きく分けて2つに分類されます。

  • ひとつは、インターネット環境が整備され、SNSを介して仕事を受注できるようになったがゆえに発生する問題。
  • もうひとつは、新しい仕事のあり方が確立されているにも関わらず、ひたすらしがみついてこようとする旧体制の精神論や根性論。

これら2種類の問題を解決するために、前者にはクリエイター業というものを理解してもらい、正当な扱いがされるよう毅然として求めていかなければなりません。そのためには、まずクリエイター自身がそれを訴えていけるだけの理論武装や価値観の共有が必要となるでしょう。

後者に対しては、今の時代は昔とは違うこと、昔通用した概念は今では通用しないこと、昔だったら泣き寝入りさせられ、周辺に封殺されるような理不尽が今ではまかり通らない時代になったことを啓発することで、古き悪しきを切り捨て、古き良きと新しき良きを融合した、クリエイターのための未来図が享受できると信じています。

なぜ「ひたすらサボる」に至るのか

先程挙げたクリエイター問題の2パターンについて、ひたすらサボるを目指すことが解決につながると考えるためです。

ではどうやって解決させていくのでしょうか。

そのためには「ひたすらサボって」を持ち出した理由を説明する必要があります。

サボることで効率を追求する

サボること、それはすなわち、仕事をしない時間を1秒でも長くキープすること。

当然ながら、仕事をきっちりと終わらせるために、短時間で集中することを是とし、一定のクオリティの成果を上げるために、様々な道具を利用したり作業の効率化を図るなど、無駄のない質の高い作業が必要となります。

結果として、短時間、高品質を確立することが可能となります。

サボることで余暇を獲得する

無用に仕事をしなければ、その分だけ時間に余裕が生まれます。

時間に余裕ができれば、あちこち見て回ることで見聞を広めたり、様々なメディアに触れて感性を培ったり、家族に孝行できたりと、自分にとってプラスになることに時間を使えます。

サボることで仕事することの意味を見出す

労力の割に報酬が少ない案件では、サボれません。

そのためには、請け負う案件が仕事に見合った代価であることが求められます。

しかしながら、明らかにクリエイターを買い叩いている案件が横行しているのも事実。

とにかくサボることを是と考えれば、誰もクリエイターを軽視するクライアントには見向きもしなくなりますし、いい案件なのに報酬が釣り合わないケースについては、なぜこれだけの報酬が必要になるのか、それを訴求できるようになります。

1曲5000円で楽曲制作をし続けても、到底まともな生活はできません。

サボることを考えることで、仕事に見合った対価はどれくらいなのか、それを見つめ直す機会になるでしょう。

サボりから新たなる発展につなげる

サボることで余暇が生まれるのはもちろんのこと、余暇があるということは、それだけ時間というリソースが多く持てるということです。

時間に追われることもなく、なにかが起こっても対処するには十分な時間がある…それだけで、時間がないことからくるプレッシャーからは開放され、リラックスした状態を得られます。

お風呂に入った時、妙案が浮かぶのと同様、リラックスした状態は、緊張した状態の時と比べて脳が回りやすく、ひらめきやすくなります。

もしそこで、新しい業務のあり方が思い浮かべば、それを導入して収入を増やしたり、収入の安定性を確立したりすることができます。

時間の余裕とは心の余裕、心に余裕があることで、脳や感性がフルスペックのパフォーマンスを発揮することができるでしょう。

サボることを悪と決めつけない

クリエイター業に限らず聞かれるのが、「とやかく言う暇があったら勉強しろ」という言葉。

しかし、闇雲に仕事をする、作品を作る、練習に励む…果たしてそれが本当にプロとして活躍できる自分につながるのでしょうか。

去年の言葉を引用させてもらうとすると…

集中して勉強した1日1時間のテスト勉強と、集中力散慢でダラダラと時間を溶かしただけの1日10時間のテスト勉強、果たしてどちらが偉いのでしょうか。

目的さえもわからず、ただ「勉強している時間」を積み重ねるよりも、目的を持って集中して事に臨んだほうがずっと効率的でしょう。

非効率を差し置いて時間の蓄積だけを是とする人の声には、決して耳を傾けません。

非効率的なことをやり続けてプロになっても、おそらくプロの体を維持できなくなってしまうし、何より、頭ごなしに「非効率的なことをやり続けろ」とアドバイスをする人が、どうしてプロを目指す人を育てる人物と成り得ましょうか

そこには、昔から受け継がれている「勤勉であることは正しく、怠けることは悪である」という概念があることでしょう。

もちろん、仕事において勤勉であることは悪ではありませんが、寝る時間や暇さえも削って仕事をさせることが正とは、断じて言えません。特に、クリエイター業だけでなく、様々な業種において「勤勉であることは偉い」を都合よく利用して、労働力の搾取を助長している感はあります。

勤勉であることは偉い、だから評価されるということを広めれば、評価されるためには勤勉であるべきと思わせることができますし、評価がされない=努力・勉強が足りないという価値観を植え付けることができます。そうなれば、使えるだけ使い、必要なくなったら切り捨てる、評価されず諦めるまで使い倒すことができるため、クリエイターは使い捨てるものという価値観が蔓延し、馬車馬のような扱いが続いてしまうことが予想されます。

それに抗うためには、勤勉である理由、ひたすら打ち込む理由は何かを考え、今の行動がその理由に適っているが故の行動なのかを問いかけながら判断していく必要があります。サボれ、というのは「勤勉という言葉に飲まれるな」という意味でもあります。

 

というわけで、今年の目標は「ひたすらサボって楽曲制作業」です。

今年は、とにかくサボることを目標として、楽曲制作業に邁進していきたいと思います。

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※あいりすミスティリア!より