何気ないことを口にする事
皆さん、おはようございます。
家に帰って「ただいまー」というと、「おかえりー」と声が返ってくる。
「おなかすいた」と言えば、「もう少し待ってなさい」とか「そろそろご飯にしましょうか」とか聴こえてくる。
しかし、一人暮らしでは、そんなことは一切なし。聞こえてきたらその方がヤバイです。
だったら、家に帰って何のレスポンスもなく黙っているべきなのか…?
何気ないことを口にする大切さ
まあ、独り言が多いというのは傍から見るとアレに見えるかもしれませんが、何気ないことを口にするというのは大切なことだと思います。
言葉で出ること=自分の素直な思い
慣れてない人が自己紹介をしても、原稿を用意してその通りに読もうとしても読めなかったり噛んだりします。しかし、例えは悪いですが感情的になったときに出る言葉は、言葉が詰まることはあっても、案外すんなりと言いたいことを言ってしまえるものです。
「慣れないことを無理に言おうとする」論理的に頭を回す必要がなく、感情からダイレクトに言葉になることが、言葉がスムーズに出てくる要因であると思われます。
普通に喋るときと何か考えて話すときで脳の使われ方に違いが出ているとは思いますが、そこは専門家におまかせしましょう。
感情が紡ぐ言葉を大切にする
自分が大切にしているのは、感情が紡ぐ言葉…
難しいことを言ってるように思えますが、その正体は単純です。
- 美味しいものを食べたときは「おーいしー!」
- 可愛いものを見たときは「かーわいー!」
- 演奏や一芸に感動をおぼえたら「すごーい!」
…少し前に流行りましたね。その作品の同人誌を夏コミで出すと意気込んでたサークルさん、今どうしてるんだろう…
私生活に当てはめると…
- 美味しいものを食べたときは「あ、美味しいなこれ!」
- オフロから出てきたら「あ~さっぱりした!」
- かっこいいものを見つけたら「おっ、カッコイイ!」
- きれいな景色を見たら「いい眺めだな…!」
その時の感情を口にするようにしています。
感情を出すことによって、心のリラックスとストレスの解消になりますし、感情を出すことによって、感受性を鍛えることもできるでしょう。感情を押し殺すことが当たり前になれば、感情のセンサーも錆びてしまいます。
では、マイナスな感情を抱いた場合はどうするのでしょうか…
マイナスな感情も口にします。
もちろん、TPOを弁えて、口にすることで弊害が及ばないようにするのですが、それは決して、マイナスな感情を口に出さない、というわけではありません。
むしろ、マイナスな感情ほど口から出てくるものを大切にする必要があると思います。
美味しいものを食べたときには「美味しい」という言葉が出る。
…しかし、その美味しいものも、人によっては苦手だったり嫌いだったりする。
カッコイイものを見たときに「カッコイイ」と思う。
…しかし、そのカッコイイものにも凶暴性や嫌悪感を抱く人もいる。
プラスの感情については、不特定多数について「これはカッコイイだろう」「これは美味しいだろう」と、ある程度のベクトルを定められますが、誰かが嫌いなものについては、嫌悪感が強いことが明確なジャンルでない限り、「この人はこれが嫌いだろう…」と狙うことはできません。
つまり、普通にあるものが嫌いだ、不快だという物ごとには、「他の人が好きだというものに対して、自分は不快だ、嫌いだと思う要因がある」ということです。
もちろん、不快なもの、嫌いなものに対してネガティブな言葉を吐くだけでは、まったくもって意味がありません。マイナスな印象を持ったものに対してマイナスな言葉が生まれたら、なぜマイナスな言葉が生まれたのか、それを考える必要が有ります。
「俺はこいつが嫌いだ!」
→「こいつを見てるとイライラする!」
→「こいつはこれこれこうだから、イライラをもたらす!」
→「こいつの行動がイライラをもたらすのは…こいつの行動が一昔前の自分に重なるからだ!」
→「…自分は、昔の自分が嫌いなんだな」
→「過去の自分に報いるにはどうするべきか…」
といったように、なぜマイナスな印象を受けるのかを紐解いていくことで、自分の価値観を見つめ直す、自分の活動にテーマを見いだすといった、さらなる発展をもたらすことができるでしょう。
どんなに理論武装しても、人は感情の生き物です。感情に訴えるためには、自らの感情に響かせられなくてはなりません。
クリエイター業は感性を武器にする仕事、様々なものに対して感情のアンテナを研ぎ澄まし、いつまでもその感性を維持させていきたいと思います。
これは何もクリエイター業に限らず、人として豊かに生きることにもつながってくる気がします。
関連記事