悪影響を与える人は切り捨てればいい…?
皆さん、おはようございます。
クリエイターの身のあり方について、よく語られるのはこんなこと。
「嫉妬する人からは遠ざかれ」
「相手を蹴落とすことを是とする人に近寄るな」
「批判ばかりする人の言うことを聞くな」
今回はこれらについて考えたいと思います。
悪影響を与える人からは遠ざかれ
まず、なぜ先に挙げたような人には近寄るべきではない、付き合うべきではないと言われるのでしょうか。考えてみましょう。
嫉妬する人
相手の幸せを妬む、ネガティブ思考、因縁つけられて自分が嫌な目に遭うかもしれない
相手を蹴落とすことを是とする人
協力しようという気が更々無い、協力しても蹴落とされるかもしれない、都合良く使われて捨てられる
批判ばかりする人
ネガティブ思考、粗探しに長ける、批判ありきの論理構成で物を見る、長所を見てもらえず、短所ばかりを指摘される
単純にこれぐらいは挙がります。
特に協力する必要がある場合、相手の性格によって協力関係が崩壊したり、信頼問題に関わるのもそうですが、何より悪影響の害を被った際に真っ先にダメージを受けるのは、誰でもない彼と付き合った自分自身です。
良好な関係は、仕事をも良好に保ち、心身も良好にします。しかし、悪影響は仕事に影響し、ストレスやヘイトを溜め、心身も徐々に汚れていきます。
「深淵を覗き込む時は注意せよ。深淵を覗き込んでいる時、同じように深淵に見つめられているのだ」
この言葉のとおり、悪影響を与える人と付き合い続けていると、その人の直接的な害を受けるだけでなく、その人の性質が徐々に自分に浸透し、言動に表れ、自分もまた、悪影響を与える側の人間に堕ちてしまいかねないのです。
というわけで、悪影響を与える人との付き合いは、良好な仕事を考えるのであれば、ぜひ辞めましょう。
おしまい。
…終わっちゃダメだ。
悪影響を与える人について何を知っているのか
本編はここからです。
悪影響を与える人には近づかない、そういう人とは関わりたくない、というのは本音です。しかし、今回この話題を記事にしたのは「悪影響から離れろ」という記事を目にするものの、大体は切り捨てろということでおしまい、「なぜ彼を悪影響にし足らしめたのか」については何も語っていない記事が目立ったためです。
「悪影響を与える人には近づくな」という記事を見た人が、その悪影響を与える人の特性を持っているとしたら、誰が彼を救うのでしょうか。悪影響を与える人を切り捨てろという論調の記事ばかりが跳梁し、誰も悪影響を与えると言われる人を助けようとはしない…クリエイター業だけにとどまらず、様々な仕事において、「悪影響を与える人」に該当することをしてしまう人は、決して少ないとは言えません。そして「悪影響を与える」と烙印を押され、立ち直る機会さえ与えてもらえず、誰も救いの手を差し伸べることもなく、自暴自棄になり一層深淵に飲まれていく…悪循環です。
なぜ彼は悪影響を与えると定義されてしまうのか
ひとまず、先のラインナップに戻ってみましょう。
嫉妬する人
相手の幸せを妬む、ネガティブ思考、因縁つけられて自分が嫌な目に遭うかもしれない
相手を蹴落とすことを是とする人
協力しようという気が更々無い、協力しても蹴落とされるかもしれない、都合良く使われて捨てられる
批判ばかりする人
ネガティブ思考、粗探しに長ける、批判ありきの論理構成で物を見る、長所を見てもらえず、短所ばかりを指摘される
これらをまとめると以下の通りになります。
- ネガティブ思考
- 信頼がない
- 被害に遭う危険性
単純に考えれば、この3点に集約すると思います。
では、この3点はなぜ生まれるのかを考えたいと思います。
ネガティブ思考
仕事がうまくいかない、でもふとSNSを見ると仕事がうまく言っている人の様子が…ついつい比較してしまい、コンプレックスに苛まれる…
椅子取りゲームのような仕事において仕事が取れなければ、仕事を取れない自分に嫌悪感や劣等感を抱き、それから逃れるべく、仕事を取った相手の粗探しをする…場合によっては仕事と関係ないところまで探り、攻撃(口撃)することもある…
成功体験がなければ、「成功までの間に失敗することもある」と考えられず、ただただ成功体験がないことに悲観的になり、無用に失敗を恐れ、失敗を嘆く…
人生において評価されることが少ない、いじめや虐待を受けたなど、負の面に強く苛まれてきた…
信頼がない
協力の姿勢が見えない、自分勝手に思われる…どちらかと言うと「仕事をしたことがないので仕事できるか信頼がない」ということよりも、「一緒に仕事をしたいと思わない」という嫌悪感のようなもの。人間、どんなに理論的に生きても、ビジネスマナーを会得しても、感情で動く生き物です。余程メンタルが強くない限り、嫌悪感を覚えた相手とは仕事したくない、と思うのは無理がない話です。特にクリエイターは良くも悪くも感性が強い人が多いと思います。
被害にあう危険性
これも多少「信頼がない」にかかってくるところはありますが、ウエメセ(上から目線)で見てくる、実力差があればマウンティングしようとする、自分の都合を優先するといったような仕事上の付き合いから、暴言が多いなどの本人の性質的なものまであると思います。
言葉が悪いについては、本人の性格の問題とかもありますが、最近だとSNS上で特定の話題について言葉が悪くなったり、仕事のストレスから不満が多くなるなどのケースもあります。「SNS上では言葉が悪い」というケースも珍しくないように思えます。特に「とにかくガツンというタイプ」「理不尽なことが許せない正義感が強いタイプ」など、加害をほのめかす要因が強くなくても言動が荒れるケースもあり、難しいところです。
…と、主な3つの要因について考えてみましたが、仕事や生活次第で、「悪影響を与える」と後ろ指さされるケースは、意外と身近なところに潜むものです。悪く言えば「悪影響を与える人認定されやすい」ですが、それが性質に由来するもので無い限り、ある程度挽回することはできるでしょう。
それでは、対策いってみましょうか。
悪影響を与える人に該当してしまうことは、決して本人が悪影響を与える人間だから、とは限りません。仕事や環境で突っ走った結果、それに該当してしまうということであれば、十分挽回は可能です。
ネガティブ思考
ポジティブな考えをすればいい、ということですが、「ポジティブシンキングしろ!」と頭ごなしに言われてすぐそうなるかと言ったら、まず無理な話です。まず「ポジティブシンキングしろ!」と言ってくる人から距離をおいてみてはどうでしょう。
あと、活躍している同業者について嫉妬にも似たような気持ちを感じたら、無理をせず先手を打ってミュートするなど、発言が目につかないように対策するのも1つです。「相手の活躍からなにかヒントがある…」という思いからフォローするなどしていても、相手の発言に妬みや不快感を感じるようであれば無理に発言を追わないのも一つの手です。
そもそも相手の発言を不快と思っているのに、相手が「これは参考になるよ」と提示したものを、見たいという気になるでしょうか。逆に、相手の発言を見ても妬みや不快感を感じなくなれば、それだけ自分が安定してきた証でもあります。おそらく「役に立つ存在」と受け入れることができるようになるでしょう。
また、「今日はいいことあった!」「これ美味しいよ!」とか、自分が体験した良いことを書くのもいいでしょう。良いことを文字にするということは、良いことを見つける感性を研ぎ澄ませることになり、ポジティブな感度を上げることができるのですから。
信頼がない
相手に安心感を与える言動をする…相手に嫌悪感を与えないようにする…先程「ビジネスマナーを会得しても」というくだりはありましたが、ビジネスマナーというよりはむしろ必要最低限の礼儀と相手を思いやる気持ちがあれば十分だと思います。個性的、ユニークといった物事は、あくまでもモラルの次です。
あとは、自分自身に自信を持つこと。正確に言うと「自信を持っている状況を作ること」です。自分を認めてくれる人に出会い、自分の仕事を評価してくれる場面に出会い、何より「自分が自分を信頼できる」状況をつくることです。ちょっとしたことをやろうと決意して達成する、ソシャゲのデイリーミッションのようなものを自分に課するのも有効です。
被害に遭う危険性
相手に危機意識を与えさせないこと。
SNSでの発言に気をつける、というのはそうですが、それはなかなかに難しいもの。発言に気をつけたとしても、じゃあ発言したいという欲求、発言できないストレスはどうやって代謝するの、という話になります。
SNSで呟けないなら、リアルで発散するということになります。あ、もちろん周りに迷惑をかけていいというわけではなく、一番なのは相談できる相手を見つけることですね。特に自分の境遇を理解してくれる相手に巡り会えれば最高です。SNSでは相手の顔が見えず一方的になるので、どうしても語勢が強く荒れがちですが、相手の顔が見えるだけで無理なく抑えられますし、何より、しっかり聞いてもらえているという安心感があります。
流石にウエメセで相手を見る、相手を見下すなどについては、そういうことをしないとしか言いようがないですが、そうなってしまうのは相性問題もあるのかもしれません。
いずれにせよ、一朝一夕でできるものではありません。付け焼き刃でいい人を演じても、自分を圧し殺すことになるのでストレスが溜まり、あるところで爆発してこれまで築き上げたものが崩れるのが関の山です。ゆっくりと、焦らず、かつ確実に悪影響そのものから距離をおいていく…コツコツと積み上げたものが、明日の自分を作ります。
もちろん、「この人とは付き合いたくないな…」とおもったら、できるだけ回避するようにするのも1つです。この記事では「1つの物事で十把一絡げに悪影響を与える人と認定するのはいかがなものか」と語るのが目的であり、「悪影響を与えることが明確な相手とも付き合え」と肯定するものではありません。
本当は、クリエイター業に携わる人が、誰も悪影響を与える人という穢れに取り憑かれることなく活躍できる世界が来ることが一番望ましいと思います。それは因果律そのものに対する反逆なのかもしれませんが、全てのクリエイターを泣かせたくない、仕事して活躍して、笑顔でいて欲しい、そんな気持ちです。「悪影響を与える人」と烙印を押されて世間からも同業者からも見捨てられ、才能を失うことは、あってはなりません。
さあ、叶えてよ…
クリエイターを、「食業」に。